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本当の自分を追い求めながらも偽の大石内蔵助を演じ続ける歌舞伎役者沢村宗十郎
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************************************* やっぱり書きます。・・・17日は、特別な日でありました。

書こうか書くまいか、悩んだんですが、

やっぱり、忘れてはいけない日であるし、今の自分の気持ちも残しておこうかな~と。




当時、震源地と言われた、神戸市長田区。その隣の須磨区に住んでいました。。。( ̄∇ ̄;)


子供達は三歳と一歳。・・・あ、歳バレんじゃ~ん。。。。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ


めっさ、神経質な夫だったため、寝室は別でした。
(子供の泣き声がダメだった。ムキィィィィイ━━━━━(#`Д´)凸 )



一瞬、閃光が走ったそうです。夫の話しだと。。。。( ̄∇ ̄;) 

ワタシはもちろんその瞬間まで爆睡してたので、そんな光なんて見てません。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ



一瞬、跳ねたかと思うとすっごい横揺れで~

子供達を抱きかかえるくらいしかできませんでした~。。。( ̄∇ ̄;) 

あんなん、ガス栓締めに行くとか、ぜって~無理。(-"-;)


子供達は起きてるのか、多分?もちろん?起きてたと思うんですけど、

泣くこともせず、じっとしてました。

とにかく、まだ真っ暗な時間だったんで、子供の顔が見えなかったんです~( ̄∇ ̄;)


とにかく、すっげ~~~~~~長い時間に感じました~。。。( ̄∇ ̄;)

このまま、家中つぶれてしまうんじゃないかと、マジで思ったね。あん時は。( ̄∇ ̄;)


いつになったら、おさまるんだ~~~~っ!!って感じで~。。。( ̄∇ ̄;)

どんくらいの時間が経ったのか、わかんないんですけど、少し揺れがマシ
(マシっつっても、震度3とかのレベルじゃなくて~。支えがないと立てない。。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ)

になった時、隣の寝室から、夫の叫び声。

「大丈夫かっ!」って。


大丈夫って返事だけしました。子供二人抱えて、あの揺れの中、動くことはできなかった~。

ワタシ達の部屋は子供部屋だったんで、特に倒れてくる家具もなく~

でも、夫の寝てる寝室はテレビとか~吹っ飛んでたらしい。。。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ


何とか、こっちの部屋に来てくれて、1人づつ子供を抱き抱えて、

まだ揺れ続けている中、表に出たんですよね~。。。( ̄∇ ̄;)


とにかく、家が潰れそうで、中にはいたくなかった。。。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ

でも、真冬だし~。パジャマだし~。とりあえず、車の中に批難。


批難場所として正しかったのかは、わかんないんっすけど~

今もワタシは元気だっつーことは、その避難場所は正解だったっつーことで~。。。( ̄∇ ̄;)


でね、もちろんライフライン全滅なワケですよ。

でも、車に批難したワタシ達は、早々にテレビを見ることができたわけで~。


でも、直後ってことで、まだニュースにもなってなくて~(-"-;)

で、まず近所の夫の実家に連絡。


が、既に回線パンク状態。

繋がらないワケですよ。そりゃそうですよね~。

みんな家族や親類が心配で、電話しまくってたんだと思います。 

で、1人で暮らしてた姑が心配で、車でそのまま様子を見にいくことに。


が、その行動のせいで、恐ろしい風景の数々を目の当たりにすることとなりました。。。( ̄∇ ̄;)




ワタシ達が住んでた家から、姑の家に行くまでには、二通りの道があるんです。


一つは、板宿を通って行く方法。

二つ目は、須磨離宮の横を通って行く方法。


で、一つ目の板宿を通る道から行ったんです。


信号はもちろんどこも動作しておらず。。。。( ̄∇ ̄;) こえ~よ?


で、先に進むにつれ、家々の崩壊が酷くなって~。。。( ̄∇ ̄;) 

最後は、道の両サイドの家が道側に崩壊して、全く通れない現状に出くわしました。


想像以上にすごい町並みに、姑のコトがさらに心配になり、何とか引き返し

須磨離宮側の道へ。



が、時間が経ってしまってたせいで、既に渋滞状態。

信号も機能していないし、道はガタガタ。盛り上がってたり、亀裂ができてたり~(-"-;)


とにかく、何とか姑宅へ~(-"-;)



姑宅は、地盤が固かったのか、全然大丈夫だったんですけど~。。。( ̄∇ ̄;)

同じ須磨区なのに、ワタシんちはすっごいコトになってました~。。。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ


その後、自宅に戻ってみると~

裸足では、入れない。。。。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ


あちこちに破片が~。


結局、土足のまま入って、とりあえず倒れている家具を戻したり~。
で、食器棚とか、戻したのはいいんですけど~。。。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ

中がすんごいことに。(-"-;)
もちろん、扉を開けるとともに生き残っていた食器達も無残な姿に。。。

でもね、食器棚はまだ心の準備ができてたんです。
ガラス戸だったから。

びっくらしたのは、

冷蔵庫。


あれ、中、見えないじゃないですか。

だから、まさか中があんなコトになってるとは思わず~(-"-;)

開けた瞬間、すごいことに。(-"-;)





幸い、電気はすぐに復旧したので、明かりと暖房は確保できましたが。


が、ガスと水がアウト。これは、キツイかった~。。。( ̄∇ ̄;) 

冬で助かったっす~。。。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ


結局、お風呂に入れたのは、一週間後でしたから~。。。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ


あ、念の為に言っておくと、一週間後に復旧したわけではありません。。。( ̄∇ ̄;)


ワタシんちの付近は、水が復旧するのに、一ヶ月かかりましたから~(-"-;)


知ってました?


水ないと、トイレ、流せないんです。(-"-;)


怖いでしょ?(-"-;)


だから、至る所の公共のトイレがすんごいことに・・・(-"-;)





あ、もちろん、水の救援?はあったんですよ?

でも、すっごい貴重だから、食に優先。

お米洗った水も、捨てずに保管~(-"-;)


だってね? 重いんです。水。灯油入れるポリケース、ご存知?

あれ二つに水を入れてもらって、家まで持って帰るんですけど~

とにかく、重い。。。。。。( ̄∇ ̄;) 

って、友人は、もっと大変だったんっすけどね~。。。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ

高層マンションに住んでて~

24階だったんだけど~

もちろん、エレベーターは使えず~

毎日、水を持って上がってるだけで一日終わってたって。。。( ̄∇ ̄;)




近くにあった市の保養所。そこへ行けば水も出るしお風呂もあったんです。豪華なジャングル温泉。

だけど、当時その場所は、自衛隊の駐屯所になっていて、ワタシ達市民は使えませんでした。


そんな中、お風呂に入れたのは、長田にあったとある銀行。その銀行が被災者の為に、


無償で仮設のお風呂をたくさん用意してくれたおかげでした。


それでも、すんごい順番待ちでしたけど。。。( ̄∇ ̄;)


国もいろいろしてくれたんだとは、思います。

だけど、やっぱり未だ、首相がゴルフしてたコトは忘れられません。。。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ



そうそう。当時、報道関連の役立たずさにも呆れたことを覚えてます。

何時間経っても、死傷者2、3人の報道。



それと、これは余談なんですけど、

当時、大阪のあちこちの病院では、凄いことになってるだろうから、救急に対応できるようにと

準備万端の体制を整えてくれてたとか。

だのに、何時間経っても被災者は来ず。


道路が寸断されて行けなかったんですよね。

電話もずっと繋がらない状態でしたし。


それに・・・、

現地の消防、警察、病院関係者の方々は、自分達も被災者だったんですよね。

それでも、消防活動や救出活動をやってくれてた。




頭があがりません。









話しは戻りますが、


その後、少し落ち着いてから、夫の会社が長田にあったので、

夫が様子を見に行くと言い出しました。


子供達と置き去りにされるのは不安だったので、一緒についていきました。。。。( ̄∇ ̄;)






すっかり、燃えまくっていました。


初めて知ったんですけど、


あれだけの規模の火事だと、空中が真っ黒になるんですね。


長田に近づくにつれ、異様な光景が目の前に現れてきました。


長田に住んでた友人の話しでは、火柱が八本ほど上がったとか。


ガスもれによる火災ですね。


最初の頃、まだ、火災が発生してない頃ですね。

その頃は、揺れが収まるのを待ちつつ批難してたのが、

火災発声と同時に修羅場になったそうです。


ワタシ達が着いた頃は、燃えまくっていたので、近寄るコトはできませんでした。


逃げ出せた友人に、随分経ったある日、聞きました。

崩壊した瓦礫に挟まって逃げれずにいる人たちの悲鳴。

助けてあげたいけど、火の手がすぐそこまで迫ってきて、

どうすることもできなかったって。

手に持っていたペットボトルの水を置いて来ることしかできなかったって。








数日間、続いた火災。

翌日には、黒い粉が空から降ってきました。


一面、灰だらけの町。





鎮火した後、再度夫の会社を見に行きました。


二箇所、全焼。一箇所が半焼でした。



長田の町は本当に、とんでもないコトになっていました。

戦後の風景とは、こういうモノだったんじゃないだろうか、と思いました。





無知だったワタシ達は、子供達を連れて、

火災の真っ只中も、その焼け野原も 見せてしまいました。



大人のワタシでさえも、ショッキングな光景。三歳の長男にはどれほどだったかと・・・。









震災は、ワタシにとって貴重な体験でした。
学ぶコトが山ほどありました。
何気なく毎日使っているライフラインの大切さや、
そして、人の優しさも。





当時、ボランティアの方々には、本当にお世話になりました。

未だ、小さなチビ達がいるワタシはボランティアに行くことはできていませんが、

何もしないよりは、と、必ず募金はするようになりました。


あの、コンビニとかのレジ横にあるやつね。

お釣りは全部、入れます。


そんなコトしかできてない自分ですけど~。。。( ̄∇ ̄;) 
13年も経ってるのに、あんま成長してなくて、スミマセン(-"-;)




そして、感謝したいと思います。幸いにも家族に死傷者が出なかったこと。

本当に幸運だったと思います。





最後になりましたが、

震災で亡くなられた方々に、心からご冥福をお祈り申し上げます。








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